2011年1月14日金曜日

内山にWBAアジア優秀選手賞記念品贈呈



 昨年11月のWBA総会で決まった内山高志のアジア優秀選手賞受賞。その記念品贈呈式が14日JBC(日本ボクシングコミッション)で行われた。

 安河内事務局長から表彰のプレートを手渡された内山は「光栄なこと。賞に恥じない試合をしたい」と1月31日に迫った3度目の防衛戦の必勝を誓った。
 この賞は内山がアジア圏のWBAチャンピオンの中でも傑出したチャンピオンと認められて贈られたもの。他の受賞者は、ウーゴ・カサレス(ラテンアメリカ地域)、ヤケスラフ・センチェンコ(ヨーロッパ地域)、アンドレ・ウォード(北アメリカ地域)。年間最優秀選手にはデビッド・ヘイが選ばれている。

坂田燃え尽きた……引退発表

「現役を引退します……」。元WBA世界フライ級チャンピオン、坂田健史さん(協栄・30)が13日午後、東京・新宿の協栄ジムで記者会見を開き、12年のプロ生活にピリオドを打つことを正式に明らかにした。
 亀田大毅に挑んで判定負けしてから3ヵ月間、悩みに悩んだ末に出した結論だった。この間、一時はジムワークを再開したこともあり、現役続行の噂も流れたが、「体力の衰え。以前のような持ち味であるテンポの速いボクシング、気持ちと体力で支えてきた部分がなくなった。それを自覚したことで、もうこれ以上戦えないと感じた」と、引退に踏み切った理由を明かした。キャッチフレーズの「バーニング・フィスト(燃える拳)」が燃え尽きてしまったということか。同席した金平桂一郎、大竹重幸トレーナーに引退を報告したのは2日前(11日)、両氏とも「本人の出した結論を尊重する」と快く了承。一部スポーツ紙が報じたことから、急きょ記者会見を開いたという。
 ひたむきな「努力のボクサー」坂田さんは広島県出身。98年の20歳で協栄ジムからプロデビューし、01年日本王座獲得。04年の世界フライ級王座初挑戦では、WBA王者ロレンソ・パーラ相手に惜敗したが、アゴを割られながら12回を戦い抜く大健闘。坂田さんもこの試合を世界獲得戦とともに「忘れられない試合」に挙げている。07年の4度目の世界挑戦でパーラに3回TKO勝ちで戴冠。5度目の防衛戦でデンガオセーン(タイ)に2回KO負けを喫し王座転落。通算戦績は36勝17KO6敗2分だった。
 一時は同じ協栄ジムに所属した亀田兄弟の派手な言動ばかりが注目され「結果的になかなか陽が当たらなかった」(金平会長)という不運もあったが、本人は「いい意味でも悪い意味でも、すごく自分を燃えさせてくれた相手であることは間違いないです」と亀田兄弟の感想を語っている。
 今後については、金平会長は「将来協栄ジムを譲る選択肢もある」と示唆している。坂田さんも「すばらしいスポーツを後輩に伝えていきたいという気持ちはある」ものの、すぐの話ではなく、現在は何をするかまだ模索しているところ。それでも大学で勉強したいとこの春から専修大学の2部(夜間)に入学を決めている。近い将来に会社経営も視野に入れて、マーケティング等を学びたいということだ。引退式は3月14日、後楽園ホールで予定されている。 写真は引退発表後、夫人の志江(ゆきえ)さん、1歳になる長女・夕空(ゆら)ちゃんとカメラにおさまる坂田さん。会見を終えると、期せずして報道陣から拍手が起こった。



訃報 沖徳一元沖ジム・オーナー死去


 東京・板橋にあった旧・沖ジムのオーナーとして日本人初の世界ミドル級チャンピオン竹原慎二の誕生に一役買った沖徳一氏が3日午前3時過ぎ、脳梗塞のため死去していたことが分かった。69歳だった。
 沖氏は建材・建設業(沖建材、後に株式会社サンオキ)を営む傍ら元協栄ジム選手の宮下政氏を応援し、新社屋建設に合わせて宮下氏を会長に沖-ボクシングジムを設立。95年には同ジム所属の竹原慎二がWBA世界ミドル級王座獲得。沖氏は社員を動員してドン・キング・プロモーターと交渉したが、竹原は翌年の初防衛戦でジョッピーに敗れ無冠に。自社ビル内に作った豪華なサウナ付きジムも2004年には閉鎖した。
 すでに家族による密葬をすませ、25日(火)14時から東京築地の築地本願寺(第2伝道会館)にて、社葬が営まれる。喪主は妻の今朝美さん。
 築地本願寺 東京都中央区築地3―15―1(℡03-3958-8211)。

2011年1月13日木曜日

モンティエル-ドネア会見 賭け率は2-1で挑戦者


 軽量級のビッグマッチ、WBC&WBO世界バンタム級統一王者フェルナンド“コチュリート”モンティエル(メキシコ)-挑戦者ノニト“ザ・フィリピーノ・フラッシュ”ドネア(フィリピン)のプレゼンテーションが10日はラスベガス、翌11日はロサンゼルスで開催された。注目の一戦は2月19日ラスベガスのマンダレイベイ・イベンツセンターで予定される。
 予想が拮抗する中、現時点のラスベガスのオッズメーカーの賭け率は2-1でドネア有利と出ている。これを聞いたモンティエルは「相手が向かって来ようとアウトボクシングを選択しようと、私は相手をチェイスしなければならない。同時に私はグッド・カウンターパンチャーだ」と対抗。「どんなスタイルの相手にも私は順応できる」と付け加えた。
 対するドネアは「彼がパンチャーであることは承知している。でも私の方が速い。パッキアオを見てもお分かりのように、もし相手よりスピードで勝れば、勝つチャンスは大きくなる」そして「モンティエルは経験豊富だ。でも私も才能に恵まれている。ベテランを打ち破るスキルがある」と自信をみなぎらせた。

2011年1月11日火曜日

井岡7戦目でオーレードン挑戦

 関西のホープ、井岡一翔(WBC・L・フライ級8位=井岡)のプロ7戦目での世界初挑戦が決まった。井岡は2月11日神戸ワールド記念ホールでWBC世界ミニマム級王者オーレードン・シッサマーチャイ(タイ)にアタックする。試合までちょうど1ヵ月となった11日、大阪市内のホテルで発表会見が行われた。
 井岡陣営によると、当初はL・フライ級での挑戦を計画していたもののWBC新王者バアスが来日をしぶり、結局1階級下での挑戦を目ざすことになったという。国内最短奪取のかかる一戦に井岡は「僕が歴史を塗り替えられるなら」と強い意欲を見せ、「オーレードンの挑戦者の中では僕が一番強い」とV6王者攻略に自信ありげ。「ミニマムに落としたことで4階級も狙える。3階級はこの前(亀田)興毅選手が達成しましたし」と将来的な野望を語った。
 会見ではテレビ局から「どういったチャンピオンになりたいか」と何とも気の早い質問も飛び出したが、チャンピオンは40戦無敗(39勝1分)の強豪。井岡が初体験のミニマム級でどれだけ動けるのかも焦点となる。それでも井岡は「リングに上がるときは自信しかないと思う」と調整の成功を確信している様子だった。当日はTBSが夜7時から放送を予定している。

2011年1月7日金曜日

元王者メイソン、バンに轢かれ即死

 元世界ヘビー級コンテンダーのゲリー・メイソンさんが6日朝、ロンドン市内を自転車で走行中、暴走するバンに跳ねられ即死した。48歳の若さだった。
 メイソンさんは、世界戦こそ経験しなかったものの、英国王者だった1991年には欧州王者レノックス・ルイスとお互いのベルトを懸け合い、これは後の世界王者に7回KO負け。これがメイソンさんの唯一の黒星だった。(通算37勝34KO1敗)

2011年1月5日水曜日

3月にもダブルで防衛戦 西岡&粟生始動

 帝拳の世界チャンピオン・コンビが揃って始動--WBC世界S・バンタム級王者・西岡利晃(35)と、WBC世界S・フェザー級王者・粟生隆寛(26)が4日午後、帝拳ジムで記者会見とジムワークを行った。この日が年明け初練習の西岡は、ロープ跳び、シャドーなど軽目ながら慎重に“ならし運転”。粟生の方は、田中繊大トレーナー相手のミット打ち、サンドバッグ打ちもメニューに盛り込み、んでいた。
 2人の次戦は、3月か4月にもダブルで防衛戦を行う計画がある。新王者の粟生は指名防衛戦で同級3位のウンベルト・グティエレス(メキシコ)との対戦を予定。西岡は、10月に最強挑戦者レンドール・ムンロー(英)を撃退したばかりで、次の6度目の防衛戦は選択試合になるが、挑戦者は未定。これに長谷川が加わって「トリプル世界戦」となる可能性もある。こちらはプロモーターの本田明彦帝拳ジム会長が渡米して指名挑戦者ジョニー・ゴンサレス側と交渉に入るため、現時点では未定。 
 今年の抱負を聞かれた粟生は、「チャンピオンとして年を越すこと。前回(フェザー級王者として)初防衛でこけたので、とりあえずこれをクリアしたい」と、V1にこだわりをみせた。一方西岡は、記者投票で昨年度の最優秀選手賞に選ばれて「素直にうれしかった」という。また書初めで「右」と書いている初夢を見たそうで、「右を磨けという意味かなと」。そして「1戦1戦常に挑戦という気持ちで頑張る。完璧を目指してボクシングを高めたい」と、なおも向上の意欲を持ち続けている。 
 写真は記者会見に臨む西岡と粟生。中央は浜田剛史・帝拳ジム代表。テレビ局の求めに応じて色紙に書いた2人の決意表明は、粟生が「チャンピオンで年を越す」、西岡は「挑戦」だった。

2011年1月4日火曜日

‘10年最優秀はマルティネス パッキアオは過去10年のMVP WBCが発表

 WBC(世界ボクシング評議会)は3日恒例の2010年度の各賞を発表し、年間最優秀選手にミドル級王者セルヒオ・マルティネス(アルゼンチン)=写真=を選んだ。マルティネス(35)は4月にパブリックを攻略して世界ミドル級王座につき、11月の初防衛戦ではポール・ウィリアムズを2回見事なKOに沈めてリベンジを果たした。この一戦はWBCの年間最高KO賞も受賞している。同時に、マニー・パッキアオを別格扱いで「ファイター・オブ・ディケイド(過去10年間の最優秀選手)」に選出している。
 日本関係では、4月に東京で行われた長谷川穂積-フェルナンド・モンティエルのWBC-WBO世界バンタム級チャンピオン統一戦が「最も劇的な試合」として選ばれている。長谷川が敗れたこの一戦は、日本でも年末の記者投票で「年間最高試合」になったばかり。
 WBCが発表した各賞授賞選手は下記の通り――。
 ・過去10年間の最優秀選手 マニー・パッキアオ
 ・年間最優秀選手 セルヒオ・マルティネス
 ・年間最高試合 ジャン・パスカル-バーナード・ホプキンス戦
 ・年間最高KO セルヒオ・マルティネス-ポール・ウィリアムズ戦(2回KO)
 ・最も劇的なKO フェルナンド・モンティエル-長谷川穂積戦(4回TKO)
 ・最も模範的な世界王者 ビタリ・クリチコ
 ・新鋭賞 フリオ・セサール・チャベス・ジュニアと、サウル“カネロ”アルバレス
PHOTO/SUMIO YAMADA

パッキアオ来日していた!!

 世界のスーパースター、マニー・パッキアオ(比)が暮れにお忍びで来日していた!!
 6階級世界チャンピオンのパッキアオは17日に32回目の誕生日を迎え、マニラで盛大に誕生パーティを開いた後、27日にマニラからジンキー夫人と長男を伴い来日。リッチな日本人ファンの招待に応じてやってきたという。31日まで4日間滞在し、ディズニーランドを訪れるなど、たっぷり日本の休暇を楽しんだようだ。
 今回日本に滞在中は、プライベートで家族サービスに徹したため、ボクシングに関する動きは一切なかったという。日本の休日を楽しんだパッキアオ・ファミリーは31日に次の滞在先、オーストラリアに向けて飛び立った。

2011年1月3日月曜日

新人王にヘビー級新設 西日本限定で開始

 第1回大会が行われてから今年が65年目という長い歴史を誇る新人王トーナメントでも初めてとなるヘビー級新人王が誕生する――関西地区のジム・オーナーの集まりである西日本ボクシング協会(度紀嘉男会長)が今年から新人王トーナメントにヘビー級を新設することを決めたのだ。暮れの25日に記者会見を開き、発表したもの。
 日本では特に競技人口の少ない重量級ということもあり、中軽量級のように「最低1勝以上」の出場制限は設けない。関西には樋高リオ(仲里ATSUMI)ら3、4人のヘビー級がおり、新人王トーナメントにエントリーを希望しているという。すでに上部団体の日本プロボクシング協会(大橋秀行会長)にも了解を取り付けている。当面は西日本新人王トーナメント限定で全日本新人王決定戦にはないが、ミニマム級が最初関西限定だったように、ゆくゆくは他地区でもヘビー級がでてくれば全日本新人王も行われるようになるのでは……と西日本協会関係者たちは期待している。「最初から一気に揃えようとするからしんどくなる。最初は東京や九州も(新人王に出る)ヘビー級が1人でもいてくれたらいい」と語るのは度紀協会長だ。
 日本人ヘビー級を育てたいという思いは業界全体に共通してあり、JBC(日本ボクシングコミッション)は1年前からヘビー級を含めS・ミドル級以上を毎月発表の日本ランキングに設けているが、実際にはまだどの階級もランクされた選手がいない。「西日本ヘビー級新人王」が日本の重量級振興のさきがけとなれば……というのが本音のようである。
 西日本新人王予選は3月20日にスタートする予定。